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もの作ることで幸せをいただいて、さらさらと暮らしたい

からくりへ

Amazonマーケットプレイスでまた本を購入。
動くおもちゃ―Movable illustration 西田 明夫 (著)
これは僕が希望しているインターン先の人の著書です。
どうやら数年前に出版社が潰れたらしく、希少本になりつつある本だったようだ。
だけど価格は定価よりも少し安く1000円で購入。やったぜ。
内容といい(まだ読んでないけど)、これから価値がでてきそうな本だ。
  
前記事で環境について書いた。
あとこんな日記を読む。
なんかなー -kmizusawaの日記
「目の前に手に取りやすく差し出されている選択肢と違うことをすると労力とコストが掛る」
目の間に手に取りやすく差し出されている選択肢ってなんだろう。
大量生産品、コンビニ、ランキングTOPの商品やらサービス、先生が学力に見合った高校を勧めること、周りに合わせる、流行、そういったのが思いついた。
考えない人、自分で答えを出さす選ぶだけの人が選ぶ選択肢。
僕の頭が考えない、選ぶだけの思考回路から脱却しはじめたのはたぶん、浪人時代からだ。
選んでいては生きていけない?創作の世界であり、選択だけでは自己を維持できない生活だったからだろう。
そういえば僕は高校も進められた通り工業高校に入った。
普通科よりもおもしろそうってのもあったと思うけど。
日本の社会は基本的にエスカレーター方式。
小学校から中学校、成績別にどんどんと進路が狭まり決まっていく。
大学のセンター試験はその最たる選択的思考の原因だ。
センター試験は廃止にするべき。
若いうちはペン持って手首動かしたほうが、ほんとにいいと思う。
僕はまったくそうしてこなかった。
中学校は勉強つまらんかったし、高校は工業高校で普通科目はやってないに等しい。
ノートもほとんど取らず字は下手だったし、文章も書けなかった。
でも最近字も上手くなってきた気がするし、文章もある程度は書けるようになってきた。大学入ってからは勉強してるのだ。
選択する生き方から自分で決める生き方に変わるには、たぶん、そういった環境から一度でもでるか、何かしらのきっかけで(絶望とか)で気が付かないと選択するだけの人生になるんだろう。
だから多くの人が流行に乗るし、社会に勧められたものを享受していく。
突然だけれど僕は木村カエラが好きだ。
彼女はまさに自分で考えて生きている人の一人。アーティストだからあたりまえか?
最新のアルバム「+1」はお気に入りだ。
なかでも「はやる気持ち的 My World」という曲がお気に入り。
これはまさに選択するだけの人に「なぜに合わせたいの全部」と疑問を投げかけている歌だ。
別にいいけど、私はときめく My World持って幸せなのさ、という歌である。
mixiのニュース欄で木村カエラが女子高生のファッションリーダーであるとあった。
女子高生が選んだファッションリーダー、1位は「木村カエラ」
お前ら、人の話を聞いてるか?と言いたくなる。
彼女らにとって個性的とは自分の個性ではなく他人の個性なんだろうか。
なれよリーダー。
  
日記の話しに戻すと
環境に配慮できる余裕のある人たちと環境に配慮する余裕のない人たちがいる。
これについては残念としかいいようがない。ワーキングプアだ。
なんとかして現状を打破したいところ。
だけれど、そんな余裕も無い。ドロップアウトは死または自己の崩壊ではないか。
現代社会における極限のサバイバル。
走り続けなければいけない。

余裕があることが「豊かさ」を意味する。
音楽、文学、美術などの芸術は「豊かさ」の象徴。
忙しい、心を亡くした人たちにはこの「豊かさ」を得る余裕がない。
働かせざる得ない状況を作る日本の社会制度の問題だ。
ドイツの生活が羨ましい。
本の時間は早過ぎる。