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奨学金について

 最近、ちょくちょくと奨学金返済が難しい人が増えているという記事が目につく。Facebookの知り合いが、奨学金批判の記事をいいねしていたりで。この手の記事を読むたびに、なんだかなぁと思う。

 僕自身は有利子の奨学金を借りて返済中の身ですが。職もあり定収があるので、ありがたいことに返済に困るような事はない。額もそんな大したものではないが、返済回数がすごい長いので利子が膨らむ一方だ。奨学金という制度を維持するためにも、利子を支払、返済を継続することは当然です。まとめてドーンと返す力もなく、細く長く地道に行こうかなと。金利も他の借金に比べたら安いのだし。返すよりもそのお金をなにかしらのさらなる投資に回したほうがよいと考えます。

 奨学金を満額で4年間借りたら恐ろしいことになる、ということは大学生の初期に気づいたので学生生活に必要な予算を見直し、必要最低限の額に減額した。貴重な学びの機会をバイトで潰すのはアホらしいのだが、まったくしないというのは家計が厳しい身だったので、最低限のバイトをして過ごしていた。そういった大学生が働くなんてもったいない!という態度だったので同じバイトの同級生から、バイトでの僕の評価が広まって、今でも「彼奴はどこのバイトでもクビになるダメ男なんだって!」と後ろ指をさされることになるのだが…。今の仕事はちゃんとやってるので許してくれ〜。
 理由としては学業が忙しくなってシフトに入らないようにしたら、社員の方が新たにバイト募集して僕がいなくても回るシフトにして頂けたので、これでしばらく働かなくてもいいわ〜勉強するぞと行かなくなっただけなのだが、それはクビなのかっ。確かに無責任ではあるが、大学でちゃんと学べずに奨学金返済に困るような人生を避けるためならなんのその、です。
 そういえば昨今はブラックバイトという言葉が流行ってますが、代わりはいくらでもいるのがバイトなのでやめればいいのに。色々理由つけられてやめられないのだろうけど、バイトにそんな責任はないの、時間外労働もないの、逃げればいいの。僕の時のように社員が人材管理できないのが悪いの。

 奨学金という制度は絶対に必要です。そりゃ無利子や給付型の奨学金がいいのは当然のことで。そういう制度は既にあるし、条件が厳しく数が少ないだけで。全員をそれにしろというのは、虫のいい話過ぎて現実的じゃないと思います。高齢者の介護医療福祉費用大幅削減、人口透析の医療費控除撤廃、回復の見込みのない延命治療禁止とかすればできるだろうが…それは今、税金で皆で支え合っていた高齢者や患者を各々個人で支えることになり、奨学金が返せないどころの騒ぎじゃない、毎月ウン十万払わないと親が次々と往生するという事態に陥り、すごい殺伐とした社会が到来するであろう、そんな未来は目に見えている、そんなことは非現実な話で。奨学金のバカヤローって叫んでる方がまだいいのです。有利子だからこれだけ多くの人に奨学金を提供できるのでしょう。もし、有利子の奨学金が無ければ日本の大学生数は3分の2以下になるんじゃないだろうか?それが、先進国の教育レベルでよいのだろうか。
 さらに言うならば、大学を出て返済に困る程の能力と生産性だということは、奨学金という自身への教育投資を回収できなくなったということであって、投資失敗だということです。その学生に価値がないということは、そこの大学教育の価値があるのかが怪しく、学生と大学教育の両方に責任があるのだろうけど。そんな状況で有利子無利子給付とグダグダ言ったって、何も結果は変わらないし、むしろ無駄な教育に無駄な学生が群がり、教育費が膨れ上がりさらに悪化するということです。本来の大学教育の目的、大学で4年間真剣に学び、生産性の高い人材を育成し、社会で活躍し、価値を生む、そしてその教育投資が回収できるのなら有利子と言わず、どうぞどうぞ奨学金は給付でどうぞと好循環になるのだけど、そうはなっていない悪循環。

 本当に勉強したんですかと聞いてみたい、大学は高校の延長で遊ぶところみたいな人結構いますよね。大学ではいったいどういう教育してたんですかってことです。でも、突き詰めて考えていくと、やはり学生自身の問題になってしまうでしょう、その大学を選んだのは学生ですし。義務教育での出来不出来は学校の責任といってもいいですが、高校からの教育は任意です。現状としてはもう、小中高大 成行(なりゆき)教育になっていますが、それもこの問題の一因で…。

 どこで何を学ぼうが自由だということで、自由には責任がついてきます。

それで大学を出て奨学金が返済できない、奨学金が悪いという話を聞くとそういう話が盛り上がるってのが、なんだか情けないなと。そういう状況になってしまった方々のことは残念に思いますが、過ぎたことは仕方がない、現状を見つめなおしてよい人生を見出してほしいです。