CaMiL

もの作ることで幸せをいただいて、さらさらと暮らしたい

西田明夫先生


 ある方の日記で西田明夫先生がお亡くなりになられたことを知りました。去年の夏、インターンを称して西田先生にお世話になり、一緒にラーメンやら焼肉やらを食べれるほど元気であった先生なのに突然の訃報に信じられない思いです。
 先生を知ったのはインターン先を調べるためにネットでからくり仕掛けを検索していた時でした。日本でも世界的に活動しているからくり人形作家がいると知り、興味を持ったのがはじまりでした。なぜ、工芸科で鋳金を専攻している僕が、からくり仕掛けを調べていたからというと。ものづくりの本質的な部分をもっと知りたかったからです。はっきり言えばからくり仕掛けじゃなくても、なんでもよかった。ものづくりを生業としている人で世界的にも評価され、今も活発に活動している人と考えていました。

 インターンといえば普通は企業とかに就職体験というイメージがあるけど、企業にはまったく興味がなかった。デザインには興味があるけれど、今の企業のものづくりが嫌いだった。自らそこに加担するのは嫌だった。自分の専攻する鋳金の作家のとこへ行くのも考えたけれど、そこまで魅力的な人はいなかった。自分の視野を広げる意味でも、他の分野で個人独立し、ものづくりで生きる人に興味があった。それに、その頃は社会の爆発的な速さに嫌気が指していた。それより僕は歩くのが好きだった。自分の力でゆっくりと流れる時間と風景を大切にしたいと思っていた。車に乗れば時間は短いほどよいとされ、風景はまったく意識されず、整備された道路、アスファルト、様々な標識、車の渋滞、長い信号待ち、死の危険。それらが嫌だった。出来るだけ無いほうが人にとっていいと思っていた。今も思っている。そんなことも考えていたところ、電気も燃料も必要としないぜんまい仕掛けやからくり仕掛けの人の力だけで動くものがとても魅力的だった。あらゆる製品にしても子どものおもちゃにしても、世の中にそういうもので溢ればいいと思った。だからそういったキーワードで調べていたところ先生に出会った。名前を元にそこからさらに調べ、ネット上に掲載されているインタビューの文章を読み漁り。著書も絶版だったが中古で購入した。ものの考えやなぜからくり人形をつくるかという話しに共感し、この人の所へ行けば間違いないと確信した。
 西田先生はまったく知らない相手であり、世界的に活躍している、ふたつの博物館の館長でもある。もし最初の連絡で電話やメールの手段を使っていたならば、高い確率で断られていたに違いない。上で書いた通り、ここでお手軽簡単な電話やメールを使っていれば僕はただの口だけ男である。筆を取り、紙に書く、出来る限りちゃんとした書式で。もちろん日頃そんなことはしたことがない。筆を取って手紙を書くなんてのは、はじめてではないだろうか。だけど、そうしないとダメだと思った。へたくそな字ではあったがなんとか手紙が書けた。手紙を送ると数日で返事が来て、受入れてもらえた。字は下手だが、手紙の書き方が気に入ってくれたらしい。

 インターンでは1週間、西田先生と共に過しました。初日の夜は歓迎のお祝いにといって焼肉をご馳走になり。ビールまで飲ませていただき、おいしかったです。1週間、1日中お供し、色んな話しを聞き、色んな人と出会い、色んなものをご馳走になった。短い間でしたが、西田先生の生き方を身を持って体験しました。先生から頂いた時間、先生の最後の夏に、お会い出来た縁にとても感謝しています。たくさんの方に惜しまれて逝ってしまわれましたが、きっともう休むときだったのです。本当に忙しい方でした。やり残されたことは、先生と繋がりのある人たちが、何らかの形で引き継がれていくことでしょう。先生と最後に電話したとき作品を送るといいましたが。結局送れず終いになってしまいました。学校の制作も終え、やっと空いた手で作品を磨いて梱包して、「さあ送るぞ」と思ったところ、先生の訃報を聞きました。本当に信じられませんでした。形を亡くされた先生に形ある物を送っても届かないでしょう。なので先生から頂いた時間を、僕も何らかの形で引き継いでいきます。西田先生とは進む分野は違いますが根本的な目的は、きっと同じです。そういった責任を果たすことが僕の出来る西田先生へ恩返しです。