CaMiL

もの作ることで幸せをいただいて、さらさらと暮らしたい

工芸的進路を求めて

 下書きに残っていた大学卒業の時の文章を加筆修正してお送りします。

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 とりあえず、方向性は決まりました。後は進むだけです。北へ。

 鋳物の街、高岡のとある美術鋳物製作所で焼型鋳造法を学びます。技術は国のお墨付きで、そのような方から個人指導をいただけるなんてかなり贅沢な話です。まだ具体的な話は決まってはいませんが。バイトなりなんなりして稼ぎつつ、週に何度か通わせていただく形で話が進んでいます。新しい街で新しい生活楽しみだ。
 しかし、僕は拠点をどんどんと北へ北へと移している。三重の松阪で育ち、学校も近場ばっかりだったから、電車に乗ったりバスに乗ることも知らずに高校生まで過ごしてきた。高校3年生の夏に突然美大受験を目指してからやっと電車でちょっといったところにある津へ通いはじめ。1年浪人し、受験が終わると今度は飛んで日本海側の金沢へやってきた。今度はそこからちょっと北上して富山県高岡市へ行こうとしている。おまけに今後の予定では岩手県盛岡へ行く可能性もあったりする。熱いのも寒いのも苦手意識は別にないのでまったく問題なかったけれど。どんぶらこどんぶらこと北へ北へと流されているような。

 しかし、あっと言う間に学生生活が終わった。4年とは短いもんです。4年前の自分と今の自分を比べると結構違うのがおもしろい。(単に老けとは言わないで)今思えば僕は別に明確な意思や目標の元に行動してきたことはなかったし今回の話もそうだ。その場の思いつきであったり、誰かの声を聞いて進んできた。そもそも、美大に行くことになったのも工業高校を出てみんなが当然のように就職していくなか、就職する気はさらさら無く、就職はしたくないから大学かな〜専門学校かな〜と呑気に考えていたところ、お母さんが主婦のネットワークを使って地元の美術予備校をいつの間にか調べて「こういう所あるし行ってみる?」と提案してもらえたからだ。その頃の僕の頭には「コンピューターグラフィックス」「アニメーション」「ゲーム」「WEB」「デザイン」というデジタルな言葉が占めていた。某私立大学の学校案内とか専門学校の学校案内にまんまと惹かれて目を輝かせてしまう単純な少年だった。この世に公立の美術大学があることすら知らずに、お母さんが予備校を勧めなければたぶん、べらぼうに高い私立大学やら専門学校へ現役で入って親の苦労も知らずヘラヘラと通い大卒としてそれなりのとこで働くか流行りのニートになってたことだろうと思う。僕は勧められた通り予備校に通い、そこで初めて美術という世界を体験することになる。高三の夏からデッサンやら色彩構成やら着彩を学び始め、色々と大学入試を受けたがどこも受からなかった。でも、どうやらいい美大へ進学する人で浪人は当たり前!みたいな雰囲気だったので、浪人になることは自然だった。この浪人の期間が非常にいい経験で、先生もすばらしい人だった。考え方も変わった。浪人の時も今も「コンピューターグラフィックス」「アニメーション」「ゲーム」「WEB」「デザイン」はもちろん好きで楽しいことだったけど、加えて絵を描くことも、紙で立体造形したり、粘土でなんかつくったり、ものを作ること全てが楽しいことに気付かせてくれた。だから進学の候補として金沢美術工芸大学の工芸科があった。そしてこの金美を僕に薦めてくれたのは予備校の先生だった。アナログなものづくりの楽しさに気付かなければ、また先生に勧められなければデザイン系の大学しか視野に入らないままどこか適当に進学してただろう。

 大学へ入ってめでたく工芸大学の生徒となるや。最初一年は美術やデザインの基礎的な事と工芸の陶磁、染織、漆木工、彫金、鍛金、鋳金と色々技法を体験してきた。僕はなにかと物を作る時には金属を好んで使って作っていた。違う素材をと思っても結局金属を選び、織の課題でも金属を織ったりしていた。金属と触れ合うことは僕にとって自然な選択のようだった。なので専攻に別れる時は金工を選んだ。金工でも彫金と鍛金は完成イメージを設計して作らないといけないところがつまらないと思ったので。まだ僕にとって未知なところが多い鋳金を学ぶことに決め3年間学んだ。工芸という分野自体そうだけれど、この大量生産社会の中で時代錯誤も甚だしい伝統技法に則ったこの鋳金との出会いはかなりおもしろく。どんどんと魅力に惹かれて今に至るわけです。課題をこなすというよりも、課題を取り入れて自分の興味のままにやってきた。2年生の後期からは先生を放ったらかして古い文献を見ながら自分なりに銅鏡を作り始めたり、自分で形を考えてものを作るというよりも、鋳金という伝統技法と向き合って生まれた形を取り入れて作品制作をしてきた。それで勝手に技法を考案して、先生が手をつけられなくなったり、3年間好き勝手させてもらうことができた。そのおかげで卒制のような作品も作れたし、高岡で学ばせてもらえることになったと思う。

 卒業して本当に思うことはデザイン科へ行かなくてよかったということだ。工芸では自分で考え自分で作ることが基本です。ものが出来上がる最初から最後までこの手で作り上げます、シミュレーションとかではなく結果はすべて本物で、用途を持ったものであれば実際に使えるものです。デザイン科ではミニチュアモデルであったり、実際作ったとしても技術レベルが低かったり、お金を使って外注しないといい結果は出せません。考える訓練はするけど形を実際に作ることは素人です。僕はなんでも自分でやることが好きで楽しいと思ってるのでデザイン科だときっと物足らず不満が残ったでしょう。実際に自分で一からものを作ることは非常に多くの発見があります。考えて「こういうデザインです」とプレゼンするだけでは得られない事が非常に多い。それにデザインの多くは自分では作れないのでビジュアルに目がいきスタイリングに力は入ってしまう傾向にあります。なにかと見た目だけのデザインなってしまいます。美術大学は専門分野での基本を学ぶ所だと思いますが。興味さえ失わなければ工芸を学ぶ過程でデザインは自然に学んでいくものだと思います。

 とにかく、ここまで来れたこと、ここまで導いてくれたすべての人や出来事に感謝しています。
 そして想像を超えたわけのわからない未知の先へ先へと進んで行きたい。誰も行ったことがない道のりを歩んでいきたい。

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と言う大学卒業後の所信でした。
今も変わらないが現実の波風は強いぞ、にゃろめ。