CaMiL

もの作ることで幸せをいただいて、さらさらと暮らしたい

東北へ(山形編)

 山形も鉄鋳物で有名な街です。歴史のなかでは山形の銅町が日本で一番古い工業団地だとか。900年前の平安時代に鋳物の生産が始まったとされています。今回、山形工房関係の鉄瓶の製品「まゆ」などを作っておられる菊地保寿堂本店をお邪魔しました。お店を切盛りされているのは菊地社長の奥さんで、なんの予定もなく、ふらっと訪れた僕らを快く受入れてくれました。
 菊地保寿堂は慶長9年(1604年)から400年に渡り代々続いている鋳物師の家系です。現在15代。鉄鋳物を主とし、茶釜から日用品まで生産しています。過去に一度途絶えた和銑(わずく)精製の技術復興し、独自ブランドとして展開し積極的に世界へ発信しています。
 今回、奥さんに出会えて本当によかった。なぜなら、業界の現状というものを聞かせいただいたからです。この世界不況のなか、鋳物業界はもはや壊滅状態といわれ。どう生き残るか、と全企業がもがいている。現在、盛んに進められている商工会議所のJAPAN BRAND事業は地域と企業が団結してこの苦境に挑んでいる姿だということです。菊池社長も「世界へ『山形』を売る」とおっしゃったそうです。菊地社長と奥山清行は地元も同じで仲がよく。山形をどうにかしたいという思いから、日本を出て世界で活躍している奥山清行に、声をかけたのが菊池社長だそうです。そして発足した山形カロッツェリア研究会、山形工房。各々のメディアで奥山清行の活躍が取り上げられ注目を集めています。山形工房デザインの菊地保寿堂の作った鉄瓶「まゆ」もグッドデザイン賞受賞と事業は順調のように思われます。周りからも「売れていいですね」と言われるそうですが、注目は集めても売れているわけではないそうで。今でも苦しいというのが本音のようです。
 話のなかで奥さんには「他の軽い子も店にはよく来るけれど、あなた達はやる気がある」と言われ。これからはあなた達時代、応援してるよ!」と大変励まされました。
 話はそれますが、山形には東北芸術工科大学(TUAD)があります、山形についた次の日、特に目的地もはっきりしてなかったのでTUADに工芸科があるということで、見学することにしてみました。校舎はさすが地方の私立ということで、広く見栄えする建物に関心しました。学内展示や工房周りもみましたがみてるとなんだかな、という印象があり、学校自体に興味が無くなってしまいました。奥さんの話では、菊地保寿堂でも以前はTUADへ求人を出していたようです。しかし残念ながら入る人入る人、どうもよろしくない様で、最近は求人を出すのもやめてしまったそうです。
 大学として、プールもあり整った充実した設備で、自由に自分の好きなものを作って、のんびり楽しいキャンパスライフを送る環境としては申し分ないでしょう。でも、そんな学校では当然、卒業後が怖いのですが。皆さんどうしてるんでしょうか。などと考えながらTUADの図書館で菊地保寿堂の場所などを調べさせてもらいました。
 話を戻して、ブランディングマーケティングについての話も伺い勉強になりました。まず、以前書いた記事で奥山清行 「伝統の逆襲 日本の技が世界ブランドになる日」 - CaMiLにもあったように黒船作戦です。日本人は悲しいかな、外国で売れるものは日本で売れる。が、しかし、日本で売れるものは外国へ持っていっても120%売れないという。多少の例外はあるだろうけど「日本の常識は世界の非常識」や「ガラパゴス現象」と最近、携帯電話業界を発端に話題になっていました。とにかく物理的にも精神的にも孤立した島国だということが伺えます。そういう現状を含めて歴史的背景から今に至るまでの日本についてより学んでいかなくてはいけないと思いました。
 ほかに「売らない菊地」という言葉を聞きました。どういうことかというと、菊地保寿堂は商品をデパートへは卸さないそうです。卸さないとはつまり、デパートなどで売っていないということです。バブル期ぐらいまではデパートに置いて売っていたそうですが。景気が悪くなり、デパートは商品をなんとしても売ろうと必死になる状況で、利益の確保のためどんどん経費削減を進めました。結果、従業員に対する教育(商品知識の勉強会など)がまず行われ無くなり、デパートの店員が商品に対して正しい知識(使い方、注意点)などを適切に説明できなくなっていったそうです。鉄の鋳物ですから、取り扱いについてはいくつか注意する点があります。何も知らされず、または曖昧な知識だけで買ったお客さんのなかにすぐ商品をダメにしてしまう人が現れたそうです。「お客さんがかわいそう」そう感じたそうです。決して安い買い物ではなく、お客さんに対して申し訳ない。商品に対して責任を持つという理由から商品を卸さないことを決めたそうです。さらに製造物責任法(PL法)が制定され、ただ闇雲に売ろうとするデパートの無責任さを理由に撤退できたといいます。グッドデザイン賞など優れた商品を生み出して菊地保寿堂のブランドとしての価値がますます上がると、またうちに置いてもらえないかと大手百貨店のトップが頭を下げにきても、それでも認めませんでした。それ以降、本店での販売とWEB上などの会社とお客の直接取引きのみで販売しています。
 山形では写真をまったく撮らなかったのが残念なのですが。展示されていた商品もじっくりとみせて頂きました。茶道具関係のものは店のディスプレイにしかありませんでしたが。食器や花器、そして鉄瓶などの生活道具を主に売っています。WAZUQUと山形工房の製品にはよいものがありました。菊地保寿堂でも最高傑作というわれている茶釜や先代が大事にされていた貴重な鉄の火箸に触らせてもらったり、貴重な体験ができました。
 次は奥さんに教えていただいた山形市産業歴史資料館を見て周り、上山市にある「蟹仙堂」という個人の博物館を訪れました。蟹仙堂は中国漆工芸の豊富なコレクションがあり、漆に興味がある方は一度訪れてみるとよいと思います。
 次は新潟・佐渡編に続きます。